家庭科と美術が得意だから服飾デザインの道に進むことに決めました【ハンドメイド起業するまで その1】
小さい頃、フエルトを使ってマスコットを作るのが好きで気がつくとなにかしらチクチクと縫って作ってました。
最初は作り方の本に載っているマスコットをそのまま作っていたのですが、小学校高学年になると自分で絵を描いてオリジナルマスコットを作っていました。
マスコット作りが好きなわたしも高校生になって進路を考える時になりました。
わたしは小学生の頃から家庭科と美術の成績が良かったんです。
だから家庭科(洋裁)と美術(デザイン)の両方ができる服飾の世界に進もうと決めました。
いわゆるファッションの世界です。
服飾デザインの学校に3年間通ったんですが、とても楽しかった!
1日中自分の好きなことばかり学べるって素晴らしいですね。
この頃の友達は20年以上たった今でも交流があります。
そして今では就職氷河期と言われるバブル崩壊数後の1976年に就職活動をしました。
専門学校を卒業して3ヶ月後になんとかアパレル企業の企画室に就職が決まり、必死になって仕事を覚えていきました。
アパレル企業の企画室って洋服のデザインをする部署なんですが、けっこう肉体労働も多いんです。
わたしが就職した会社は小さかったので、いろんな事を全部自分たちでやっていました。
サンプル商品を運んだり、マネキンを運んだり。
営業と一緒にプレゼンに行ったり。
デスクに向かってデザインを考えているイメージが強いと思いますが全然違います。
退社時間の定時は17時半だったけど、いつも21時過ぎまで毎日必死になって働いてました。
それでも洋服をデザインする仕事はとても楽しかった。
入社して1年後に結婚しました。
その時、女性の上司に「入社して1年で結婚するなんてありえない!」と言われたことを覚えています。
結婚と同時に会社を辞職する【寿退社】という言葉があるように【結婚=退職】というイメージが強かったんだと思います。
結婚しても仕事は続けました。
洋服をデザインする仕事はとても楽しかったのでずっと続けたかったんですけどね。
そうも言っていられなくなってしまいました。
その2
【マタハラ・モラハラ・パワハラの 三拍子です】に続く。
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